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森時尚のちょっとだけ裏ブログ。
by ittemitaina
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それしかできないのだから。
ありとあらゆる情報が絶望的であって、ありとあらゆる情報は欲しいと思わなければ知る事も無く
それでも小さな命達は健気に生きている。
無垢のまま、昔の小さな命と同じに生きている。
だからと言って旧き命が現実から目を背けて無垢である振りをしてはいけない。
僕らが無垢であった時代があったのは僕らより旧き命達の必死が築き上げたものだから
僕らの責任は小さき命達が育つ環境を残す事なのだから。







# by ittemitaina | 2011-05-03 01:14
そして数日後。

サンタを海に連れて行く道を探している途中で洪水で溜まった水の中で遊んでいる子供たちを見つけた。
すぐ近くに住む少年の友達のお母さんが
「危ないから出て来なさい」と言っている。
でも、こんな子供の笑顔が未来を救ってくれると思った。
僕は「汚い水だから怪我をするなよ」そう言った後に「冷たく無いか?」そう言った。
子供は「ぬるいよ。魚が居るんだよ。こんなんだよ!」そう言って手を50センチくらいに広げた。
後から来たお婆さんが「そんなか!穫ったら食べられるな。」そう言った。
それを聞いて、みんなが笑った。





# by ittemitaina | 2011-03-25 00:28
そして三日後、海へ行った。

震災の日から行かれなかった海へ初めて行った。
途中で出会ったお爺さんの家は床上浸水だったそうだ・・・大変な事だ。
海はどうですか?行けますか?そう尋ねると
「海は良い凪だ。」そう応えてくれた。
大変な災害だったけれど海のせいにするわけでは無かった。
海が目の前にある生活は不安であったり幸せであったりするのでは無く
自然なのだと言う事のようだった。

海に行くと、とても穏やかだった。
いつもはゴミの目立つ砂浜も全て陸に津波で上がってしまったのか、とても奇麗だった。
お前達のゴミはお前達が始末しろと言っているのか?
いや、違う、そうでは無いとさっきのお爺さんが教えてくれたはずだ。





# by ittemitaina | 2011-03-25 00:19
次の次の日。祝杯。

掃除が終わってから昼飯をみんなで食べて・・・
そのまま宴会に突入してしまった。
結局夜の12時まで呑んだ。
楽しかった。
本当に楽しかった。
誰も口にしなかったけれど無事で笑っていられて良かったと言っていたように感じる。
祝杯だった。





# by ittemitaina | 2011-03-25 00:09
次の次の日。掃除。

津波で流されて来たゴミが道路や庭、下水道を覆い尽くしていた。
一人ではどこから手をつけて良いのか分からないような状況。
でも何の連絡が無くてもたくさんの人が朝から外に出て掃除や修理を始めた。
活気に満ちて始まった、洪水の後始末だった。
僕は下水道の掃除をした。
深さは1.5メートルくらいあり普段なら底が見えそうな下水道も今は道路に水が溢れ
どこが下水道なのか棒でつつかないと分からない。
生活雑廃も混ざったその水は醜く汚い。
でも水の上に50センチくらいの高さまで積もったゴミは今取らなければ詰まってしまう。
おばさん達ばかりの掃除軍団は大変でも明るくおばさんらしく笑いながら
昼まで掃除をしてどうにか奇麗にした。
この人達の元気がイッパイに感じられて
腰も痛くなるような作業が楽しかった。
この明るさこそが困難に打ち勝つ原動力なのだと思った。
ありがたい時間だった。





# by ittemitaina | 2011-03-25 00:04
次の日。周囲を見に行って。4

近所のオジサンが僕を呼んでくれた。
「森さん、こっち、こっち。」
彼もまた、この景色を美しいを思っていたようだ。
「ここの家を買った時にさ、以前は裏が池だったって言われたんだけどね・・」
そんな言葉は信じられなかったが
こうして見ると、その景色が分かるんだよ。
そう言っているようだった。
僕はすでに「すごい、奇麗だ」と口から言葉が出ていた。





# by ittemitaina | 2011-03-24 23:53
次の日。周囲を見に行って。3

あ!奇麗だ。
酷いという人も居るだろう。
でも、それが素直な僕の気持だった。
この時の僕には悲惨という言葉は無かった。





# by ittemitaina | 2011-03-24 23:47
次の日。周囲を見に行って。2

家に戻ってから、子供たちを誘って洪水の様子を見に行った。
どう感じるかは分からない。
でも、どこかの記憶に残ってほしい。
そう思って子供たちを誘い出した。





# by ittemitaina | 2011-03-24 23:43
次の日。周囲を見に行って。

家で一息ついたら周囲の状況が知りたくなってい家を出た。
我が家の敷地からおよそ10メートルくらいのところまで水は来ていたようだ。
凄い事になっている。
そんな悲惨な気持と同時にどこかで気持よく見えている自分が居る。
あんなに自分の家を心配していた癖に・・・
心のどこかが他人事のように洪水を見ていた。
自分の家で無ければそれで良いのか?
いや、全てが部落の大切な人達の家だ。
皆がどうしたものかと道路を見ている。
深いところでは膝まで水深がある。
でもカメラを持って来て
「写真、撮っても良いですか?」
そう尋ねたら皆が笑って
「おう撮ったら俺にもくれよ」
そう言ってくれた。
有り難い仲間達。





# by ittemitaina | 2011-03-24 23:40
次の日。我が部屋。

家に入って、カセットコンロでお湯を沸かして家族でお茶を飲んだ。
温かいコーヒー、子供はココア。
幸せの時とはこんな時を言うのだと実感した。

その後、あの大きな揺れからそのままにして去った我が部屋に向かった。
僕がこの家の中で一番長く居る部屋。
まだ6年とちょっとの思い出だけれど6年の思い出が一番ある部屋。
家が無事なのだから問題は無いはずだけれどドキドキした。

明るい朝日が窓から降り注いでいた。





# by ittemitaina | 2011-03-24 22:57
次の日。祈りの先に。

「たのむ。どうかそのままで居てほしい。」
祈るような気持、いや、祈っていた。

明るい日差しの中で何も無かったかのように我が家は建っていた。
「大丈夫。待っていたよ。」
そう言ってもらっているようだった。
外から玄関に入る時、玄関のドアに手を置いて
「ありがとう。」
そう言った。





# by ittemitaina | 2011-03-24 22:51
あの日。

生涯忘れる事の無いであろう時間。
絶望に襲われながら、希望を見ようともがいていた。



# by ittemitaina | 2011-03-24 20:49
初めて被災者になって。(この時を忘れないために書いた日記)
ある日ある時、突然自分は被災者になる。
当たり前の事だがそうなのだ。
最初は自分が被災者である事も気がつかない。
徐々に迫ってくる逼迫した状況、守らなくてはならない家族達。
避難をする決断をする。
そこから自分は被災者になっている。
どこに行って良いのか分からない。
あてども無く、でも進むしか無い。
誰に頼る事も出来ず
5人と1匹の運命がどこか自分に乗っかっている事を感じる。
大丈夫なのでは無いか、いや長引くのでは無いか
最悪の自体と何も無かったような状況が交互に頭をよぎる。
とにかく長引くかも知れないと思って食料を手に入れる事を決断する。
スーパーは全て閉まっている。
空いているのは個人店とコンビニだけ。
停電している暗い店内で人がごった返している。
お菓子とジュースを手に入れた奥さんと子供が帰ってくる。
10メートルの津波が来ると報道されている。
10メートルの津波に襲われた被災地をマスコミが流している。
あるわけが無い。でもあったら・・・
山に登る事を決断する。
家が流される事など想像したくも無い、想像してはいけない。
そんな思いが山に登る決断を鈍らせる。
でも下は渋滞の中。
この中で被災したら後悔しか残らない。
山に登った。
停電の中で車を走らせる、残り少ないガソリン。
いつも暗い道だが家の灯りやわずかな街灯が
どんなに暗い道を照らしていたのかが分かる。
山の上に行くと電波が悪くなりワンセグチューナーが入りづらくなる。
情報が欲しいのだ。
今、自分が何をしているのか?これからどうするべきなのか?
それを考えさせてくれる情報が欲しいのだ。
ワンセグの入る場所を見つけた。
コンビニの駐車場だった。
コンビニは停電をしていて中で作業をしている
商品はあっても閉店をしていた。
どこも停電できっと人がモノを買いにくる。
全ての入店を断っていたが人々が20人以上店の前に集まり店員と押し問答が始まる。
怒声が響く、コンビニが時間限定でお店を開けた。
大変でもお店を開けた方が良いと思いながら怒声に嫌気を差す。
煙草を吸いに車の外へ出ると見た事も無いくらいの星の数が輝いていた。
全てが停電になれば星はこんなに光だす。
どこかに虚しさを孕みながら単純に奇麗だと思った。
ワンセグからは地域の情報は何も伝えられない。
自分の地域は今どうなっているのか全く分からない。
数時間後山を降りる事にした。
山を降りてすぐに駐車場に入る。
そこで少し様子を見る。
しばらくそこに居てラジオから自分の地元に近い人の言葉が出てくる。
「川を津波が上がっていきます」
え!?そんな程度か。
希望を感じる。
満潮は10時、10時を過ぎたら少し戻るか。
10時を過ぎて家から3キロくらいのコンビニへ行く。
消防の車が停まっていた。
消防の人に状況を聞く。
自分が住んでいる地域とは5キロ位離れたところの人達だ
「水は膝まで来ている」
あ~床上浸水。
夜12時を過ぎて自分達の地域で指定されている避難所に向かう。
避難所の小学校では消防団の人達が焚き火をしていた。
そこで状況を聞いてみる。
「場所によりけりだよね。川の方では車が流れているけれど、この下はどうってことは無いですよ。」
僕は井之内なんだけれど
「ゴミがたくさん転がってたなぁ」
・・・・・どうなんだろう?
まんじりともせずにその場を離れ満点の星空の下で煙草を吸った。
一晩中、ワンセグがかかっている。
寝たのかどうか分からない状態で朝を迎えた。
避難勧告の解除は出ていないが家に戻る決断をした。
どうなっているのか・・・
途中途中に転がる木
家の路地を入ったら
何も無かったかのように家は出て行った時のまま建っていた。
ありがたかった。
家の玄関のドアにありがとうと言った。
家で一服して周囲を見に行く。
我が家から直線で10メートルのところまで水は来ていた。
その景色はどこか現実的な景色では無かった。


被災から二日

ありがたい布団の中で眠る事ができた。
酷い疲れだったのだろう。
ぐっすりと寝た。
朝起きて外に出た。
状況はどう変わったのか?
まだ水が引き切ったわけでは無いが昨日と比べれば、かなり少なくなった。
皆が出て道路や用水路のゴミを取っている。
僕も満水状態の用水路のゴミを取った。
まる半日がかりでゴミを取った。
普段はあまり話す事の無かったおばさん達と一緒に一生懸命にゴミを取った。
ゴミを取っている最中に色々と話をする。
でもこうして掃除しているのがゴミで良かったと話す。
これが死体だったらやり切れないと口々に言う。
皆がどこかで覚悟したのだと感じる。
テレビで流れる宮城県の状況はあまりに過酷だ。
自分達も被災者ではあるが本当に幸せなのであると誰もが分かっている。
一生懸命にゴミを取って皆で昼飯を食べた。
明るいおばさん達の笑顔が嬉しかった。
皆元気だ。
本当に幸せだ。
それから夜まで今まで話もした事の無かった人も混ざって酒盛りをした。
幸せの祝杯だった。
人の繋がりはこうして深まっていく。






# by ittemitaina | 2011-03-14 14:19
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